2013/05/24

だって情緒がないじゃない




こんにちは。
清々しい日々が続いてます。
この時期、
僕の住んでいる村では、
自分の家の横の溝を掃除をしなければなりません。
田植えが始まる前に溝の泥をさらっておいて、
田んぼに汚い水が流れ込まないようにする為だそうです。
その溝そうじ(つゆはりと言います)は5月の最後の日曜日に、
村で一斉に行われます。
以前、
つゆはりの日は村にある銭湯は昼から営業をし、
料金は無料!
日曜の朝から泥だらけになり、
クタクタになった村人をねぎらっておりました。
が、しかし。
数年前に村の銭湯は廃止され、
つゆはりの日のねぎらいは、
一家族500円のジュース代に姿を変えました。
これって、
金額的には銭湯無料と変わらないんでしょうが、
なんか味気ない。
そう、
情緒がないんですよね。
ま、無いよりはマシか~などと思っていたんです。
が、しかし。
まぁ皆さん聞いて下さい。
一昨年からそのジュース代も廃止だと!
どういうこっちゃ~!!
一人もんの僕が、一家族3000円の自治会費を払ってるのに、
労をねぎらうジュース代をねぎるとは何事か~!!
自治会費、何に使っとんのじゃぁ~!
責任者出て来~い!!
と、
ドロガメならぬドブガメおやじのボヤキブログ?
僕の人生の行路はふらついていますが、
文句だけは一人前。
うるさかったら飛ばし読みで結構ですので、
今日も少しお付き合いくださいませ~




































さて、つゆはりでございますが、
僕にとって日曜日は非常に都合が悪いんですよね。
でも、つゆはりに参加しないのも、
村ですから何かとあとで・・・
と、言う事で僕は数年前から、
前日に一人で家の溝を掃除しておくようにしています。
集めたドロは当日配られる砂袋に入れるんですが、
僕は良く似た袋を自分で買って、
それにドロを詰め、
つゆはり当日の朝に家の前に出して出かけます。
参加してるような、してないような感じですが、
今のところ誰も文句は言いません。
しかし、我ながら情緒が無いな~と、
何時も少し罪悪感。
そんな感じで数年過ぎた今日この頃。
一昨年くらいから僕の家の近所で、
前日つゆはり家族が一軒、また一軒と増えてきた。
考える事は同じなのか?、
はたまた、
僕の真似なのか?

村と言うのは、
助け合いと言う名の下に、
平等と言う平均化を図ります。
村の誰か一人が突出すれば、
自然と村が揺す振られ均される。
村の誰か一人が窪んでも、
これまた揺す振られて均される。
あまりにも突したり、窪すれば、
八部にされる。
村社会とはそういうものでした。
が、しかし。
近代化に伴いそれらは要らなくなり、
昔の村と言うのは無くなってしまいました。
今残っているのは、
情緒的なだけの過去の村風。
まぁ、
それが現代の村社会と言えば、それはそうなんですけどね。

そんな今風の村社会の規律が、
僕の近所から少しずつ崩れ始めてる。
しかも僕のせい?っぽい。
村人が一斉に掃除をするのは、
見た目かなり平等であり、
団結している風なんですが、
本当はちっとも平等なんかじゃない。
家族の誰かは掃除しているけど、
同じ家族の誰かは寝てるかもしれない。
大きな溝の横の家は全身ドロまみれだけど、
小さな溝しかない家は、手にドロも付かない。
昔の村ならはやく終わった者が、
大きな溝の家を手伝っていたんでしょうが、
現代風の平等は、
それを手伝うことが不平等になってしまう。
本来平等なんてものはこの世に存在しないものですから、
その時、その場に応じて、
平等はぐにゃぐにゃと姿を変えます。
その不公平な平等こそが村社会。
今も窓の外から、
近所の何処かの家から、前日つゆはりする音が聴こえてきます。
この流れは止まることなく広まって行くでしょうね。
こうやって時代に合わせて村が姿を変えて行きます。
あまりにも歪になれば、
自然と村が揺す振られ、
今風に均されるでしょう。
近い未来の均された”つゆはり”は、
自治会費を値上げし、
そのお金で、業者まかせの”つゆはり”になるかもしれません。
そしてその時、僕は無責任にこう言うでしょう。

”情緒がないな~!!”



































僕が子どもの頃、
日曜日が休みの店って結構ありました。
小さな商店なんかはもちろん、
ガソリンスタンドでさえ殆ど日曜日は休んでいました。
父親と車でドライブに出ても、
ガソリンが乏しくなると、
せっかくのドライブなのに、
営業しているガソリンスタンドがなかなか見つからなくて、
父親がイライラしてきて楽しいドライブが台無し・・・
なんて事がよくありました。
今なら日曜日に閉めるガソリンスタンドのほうが少ない。
コンビニエンスストアにしても、
何時の間にやら年中無休で24時間営業があたりまえ。
田舎の真っ暗な夜中の県道沿いに、
ポツンと灯るコンビニの明り。
昔なら、
24時間営業なんて情緒が無いと思われたでしょうが、
今では暗闇に灯るコンビニの明りにも情緒が生まれ、
店先でたむろするワイルド・ボーイズも馴染みの風景。
まっ、そんな時のコンビニには入らないけど・・・
子供が遊ばなくなった近所の公園も、
今ではあたりまえの風景で、
ぼうぼうに伸びた雑草が風に揺れている。
暗闇を歩く人の顔が、
凝視している携帯電話の明りで青くなっているのも、
今ではあたりまえの風景。
都会の人ごみで、
鞄がぶつかっても、足があたっても、
しらんぷり。
僕が”すいません!”と、言っても、
しらんぷり。
それも、今ではあたりまえの風景。

人はそれぞれの位置からものを観ています。
僕の核になっているところは、
僕にとって良い思い出のあるところ。
だから、
今あげたような事に情緒なんかは感じられない!
感じたくなんか無い!
と、
時代に馴染めない中年のボヤキを、
”あぁ~、禿げたおっさんがまた何か言ってるな~”と、
と、眺めているあなた。
こんな僕にあなたなりの情緒を感じたりしますか?








































親に叱られた時、
”そんなんしょうがないやん!”
と、少年の僕は言い返しておりました。
そうすると親は、
”しょうがないことなんかあるかーっ!”
と、僕を叱る。

世の中は立ち止まりもせず、
変化を止めたりはしません。
だから、
世の中の大半はしょうがないことだらけ。
だからやっぱり、
”そんなんしょうがないんです。”
でも、
簡単に受け入れるのは違うような気がします。
しょうがないからと皆がボヤかなくなって、
心の中にモヤモヤを溜め込み、
みんな何時も不機嫌顔で無愛想になんかなったら、
世の中、情緒のへったくれもなくなってしまいまからね。

でも、それはそれで、
その時代の顔になるんでしょうけどね。

そんなのやっぱり、
情緒がないな~








情緒、情緒とうるさいわー!
このハナクソー!
と、怒鳴られそうな私のブログ。

我がまま気ままな事ばかりお喋り申しまして、
”そんなおもろないブログは読みたないぞー!”
の声も無く、
最後まで御清読ありがとうございました。


ついでで申し訳ございませんが、
こちらも少し見ていって下さいませ~