こんにちは。
7月になりました。
コンビニエンスストアなどの入り口に、
七夕の笹が飾られ、
そこに色とりどりの短冊が下げられています。
天の川を挟み、
牽牛星と織女星が観測できる為、
そこから作られたロマンチックな七夕のお話しに、
子どもの頃の僕は宇宙にロマンを感じたものです。
が、しかし。
七夕が祝われる7月7日は梅雨真っ只中。
45年生きてきて、
七夕の日に天の川を観た記憶が殆ど無い。
それもその筈で、
そもそも七夕は旧暦の7月7日に行われていました。
旧暦の7月7日を今の暦に変えると、
8月13日。
この頃なら夏真っ盛りですから、
天の川も観る事が出来るかも知れません。
しかし、
今時は何かと夜も明るくて、
都会じゃ星も中々観えない。
僕が住んでるど田舎の奈良盆地ですら、
大阪がある西の空は夜でも薄っすら明るく、
天体観測には向いていません。
星を沢山観たいなら、
けっこう山奥まで行かなければならない中途半端な田舎道。
星はあまり観えないけど、
田んぼ脇の川のたもとでは、
たまに別のロマンを見る事ができます。
5~6年前、
その頃まだタバコを吸っていた僕。
タバコを吸いながら夜道を歩いていると、
前方の暗闇から小さな光がフワフワ飛んできた。
何だろう?
と、目を凝らすとどうやらそれは蛍らしい。
普通なら人が居れば逃げていきそうなものを、
その蛍は僕の周りをフワフワとまとわり付いて飛んでいます。
どうやらその蛍、僕のタバコの火が目当てらしい。
僕がタバコの火をゆっくり上下に動かすと、
蛍もそのタバコの火にあわせて同じように上下に動く。
僕が離れると蛍は後を付いて来る。
なんとも可愛らしい牽牛星に好かれた僕のブログにようこそ。
まあ、
本当は川の向こうにいる織女星のメス蛍を得る為に、
邪魔な僕を追いやっていただけで、
僕が単なるお邪魔虫だったのかも知れませんが、
今日も少しお付き合い下さいませ~
僕が幼稚園の頃、
七夕の日は各自笹を用意して、
それを持って幼稚園に行かなければなりませんでした。
田舎ですから、
探せばそこいら辺に笹は生えています。
そして、
持って行った笹に願い事を書いた短冊をくくり付け、
その笹を持って、
七夕の歌を謡いながら近所を流れる飛鳥川まで皆で行進。
川に着くと橋の真ん中辺りまで渡り、
そこから皆でお祈りし、
その笹を川に投げ込みます。
投げ込んだ自分の笹が流れてゆくさまを、
何時までも見つめていたもんです。
まぁ、それって・・・
はい、
立派な不法投棄でございましたね^^
しかし、
翌年の七夕はちょっとひどかった。
笹が用意できない子が多かった為、
今時のスタイルである大きな笹(本当は竹)一本に、
皆で自分の願いを書いた短冊をくくり付け、
皆でその大きな笹(本当は竹)を川まで運び、
橋の上から川にめがけ大きな笹(本当は竹)を投げ込む。
結局は、
またしてもただの不法投棄な訳なんですけどね。
しかし、
その日は川の水が少なくて、
笹(本当は竹)は川底に引っかかって流れない。
先生は、
徐々に流れるから大丈夫!
って、言っていましたが・・・
翌日、
僕がその川の橋を渡った時、
皆の願いを込めた七夕の笹(本当は竹)は流れずにまだそこにあって、
流れてきたレジ袋なんかが引っかかり、
ただの汚いゴミになっていました。
流れ去って見えなくなるから、
願い事を託すんですよね。
見えないモノを見ようとして、
笹に願いをかけるようなもの。
笹はただのゴミになるだけなんだけど、
僕の願いは未来に流れただろうか?
あの時、
短冊になんて願い事を書いたかな~?
と、記憶をさかのぼった時、
ふっと思い出しました。
ある時の短冊に僕は、
”家族の皆が健康でありますように”
的な事を書いた覚えがあります。
これって、
明らかに先生や、短冊を見る他の誰かを意識した、
いやらしい建て前だけの願い事ですよね。
まるで小憎らしい子役が、
とってもむかつく顔をして書きそうな台詞。
我ながらいやらしいな~と、
その当時の自分も分かりながら書いていました。
多分、
その時の僕が本当に願いたかった事は、
ゴムで出来た大きなトカゲの人形が欲しいだとか、
ショートケーキを死ぬほど食べたいだとか、
ウルトラセブンの怪獣エレキングの人形が欲しいだとか・・・
そんな物欲だらけ。
でも、
そんな事を短冊に書くのは恥ずかしいってゆうのも、
子供なりに分かってる。
大人になった今なら、
玩具がほしいと言う願い事のほうが、
子供らしくて微笑ましいと思えます。
でも、
子どもは子供で人目を気にするもんなんですよね。
だから建て前を書いてしまう。
でも、
物欲の奥に、本当の願い事が隠れていました。
でも、
それは多分叶うことがないって事も分かってる。
こんな紙切れに願いを書いたところで、
誰がその願いを叶えてくれるんだ!
と言う冷めた自分もいた訳です。
短冊に願いを書く事に意味があるんじゃなくて、
願い事を思い描く事に意味があるんだと、
大人になってやっと理解出来ました。
知らないモノを知ろうとして、
笹に願いをかけるようなもの。
書かなかった願いは、
本当は一番願っていた事。
でも、
あの時叶わないって知っていた願い事、
やっぱり叶うことはありませんでした。
時々大きな公園に行き、
子供たちが屈託なくはしゃいでいるのを観ると、
大変心が和みます。
大人の世界から見る子供の世界は、
自然体に見え、
とてもシンプルなものだと考えてしまう。
でも、
本当は大人の世界とさして変わらなく、
色んなことが渦巻いているんですよね。
喧嘩して、
悔しくて泣いて、
泣いたってどうしようもないのが分かってるから、
それが悔しくてまた泣けてくる。
我慢するか、
我慢しないかだけなら、
我慢なんかしないで
泣いたほうがいいかもしれない。
あの時、
先生が七夕のお話をしてくれました。
その話を聞きながら、
僕は頭の中に思い浮かべました。
天の川を笹(本当は竹)がほうき星のように流れています。
誰にも言えなかった願い事、
僕のお母さんがその笹(本当は竹)に乗ってやって来るのを、
こっそり夢想していた僕。
父の事を考えると、
口には出せなかったその願い事。
見えてるモノを見落として、
思うままを貫けば、誰かが悲しむかもしれない。
言わない方がいい事がある事を
子供だって分かってる。
それが子供の自然体なんだから、
大人とさして変わらない。
自分を観てる様で、
だから
和むのかも知れませんね。
今なら短冊に、
”いくら食べても健康体な身体が欲しい!”
と、迷う事無く書き込みそうな僕。
そんな僕のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。
こちらのブログをチラッと見てもらえる事が、
今の僕のささやかな願いなので、
よかったら見てやって下さいませ~
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