2013/07/04

自然体観測




こんにちは。
7月になりました。
コンビニエンスストアなどの入り口に、
七夕の笹が飾られ、
そこに色とりどりの短冊が下げられています。
天の川を挟み、
牽牛星と織女星が観測できる為、
そこから作られたロマンチックな七夕のお話しに、
子どもの頃の僕は宇宙にロマンを感じたものです。
が、しかし。
七夕が祝われる7月7日は梅雨真っ只中。
45年生きてきて、
七夕の日に天の川を観た記憶が殆ど無い。
それもその筈で、
そもそも七夕は旧暦の7月7日に行われていました。
旧暦の7月7日を今の暦に変えると、
8月13日。
この頃なら夏真っ盛りですから、
天の川も観る事が出来るかも知れません。
しかし、
今時は何かと夜も明るくて、
都会じゃ星も中々観えない。
僕が住んでるど田舎の奈良盆地ですら、
大阪がある西の空は夜でも薄っすら明るく、
天体観測には向いていません。
星を沢山観たいなら、
けっこう山奥まで行かなければならない中途半端な田舎道。
星はあまり観えないけど、
田んぼ脇の川のたもとでは、
たまに別のロマンを見る事ができます。
5~6年前、
その頃まだタバコを吸っていた僕。
タバコを吸いながら夜道を歩いていると、
前方の暗闇から小さな光がフワフワ飛んできた。
何だろう?
と、目を凝らすとどうやらそれは蛍らしい。
普通なら人が居れば逃げていきそうなものを、
その蛍は僕の周りをフワフワとまとわり付いて飛んでいます。
どうやらその蛍、僕のタバコの火が目当てらしい。
僕がタバコの火をゆっくり上下に動かすと、
蛍もそのタバコの火にあわせて同じように上下に動く。
僕が離れると蛍は後を付いて来る。
なんとも可愛らしい牽牛星に好かれた僕のブログにようこそ。
まあ、
本当は川の向こうにいる織女星のメス蛍を得る為に、
邪魔な僕を追いやっていただけで、
僕が単なるお邪魔虫だったのかも知れませんが、
今日も少しお付き合い下さいませ~






































僕が幼稚園の頃、
七夕の日は各自笹を用意して、
それを持って幼稚園に行かなければなりませんでした。
田舎ですから、
探せばそこいら辺に笹は生えています。
そして、
持って行った笹に願い事を書いた短冊をくくり付け、
その笹を持って、
七夕の歌を謡いながら近所を流れる飛鳥川まで皆で行進。
川に着くと橋の真ん中辺りまで渡り、
そこから皆でお祈りし、
その笹を川に投げ込みます。
投げ込んだ自分の笹が流れてゆくさまを、
何時までも見つめていたもんです。
まぁ、それって・・・
はい、
立派な不法投棄でございましたね^^
しかし、
翌年の七夕はちょっとひどかった。
笹が用意できない子が多かった為、
今時のスタイルである大きな笹(本当は竹)一本に、
皆で自分の願いを書いた短冊をくくり付け、
皆でその大きな笹(本当は竹)を川まで運び、
橋の上から川にめがけ大きな笹(本当は竹)を投げ込む。
結局は、
またしてもただの不法投棄な訳なんですけどね。
しかし、
その日は川の水が少なくて、
笹(本当は竹)は川底に引っかかって流れない。
先生は、
徐々に流れるから大丈夫!
って、言っていましたが・・・
翌日、
僕がその川の橋を渡った時、
皆の願いを込めた七夕の笹(本当は竹)は流れずにまだそこにあって、
流れてきたレジ袋なんかが引っかかり、
ただの汚いゴミになっていました。

流れ去って見えなくなるから、
願い事を託すんですよね。

見えないモノを見ようとして、
笹に願いをかけるようなもの。

笹はただのゴミになるだけなんだけど、
僕の願いは未来に流れただろうか?








































あの時、
短冊になんて願い事を書いたかな~?
と、記憶をさかのぼった時、
ふっと思い出しました。
ある時の短冊に僕は、
”家族の皆が健康でありますように”
的な事を書いた覚えがあります。
これって、
明らかに先生や、短冊を見る他の誰かを意識した、
いやらしい建て前だけの願い事ですよね。
まるで小憎らしい子役が、
とってもむかつく顔をして書きそうな台詞。
我ながらいやらしいな~と、
その当時の自分も分かりながら書いていました。
多分、
その時の僕が本当に願いたかった事は、
ゴムで出来た大きなトカゲの人形が欲しいだとか、
ショートケーキを死ぬほど食べたいだとか、
ウルトラセブンの怪獣エレキングの人形が欲しいだとか・・・
そんな物欲だらけ。
でも、
そんな事を短冊に書くのは恥ずかしいってゆうのも、
子供なりに分かってる。
大人になった今なら、
玩具がほしいと言う願い事のほうが、
子供らしくて微笑ましいと思えます。
でも、
子どもは子供で人目を気にするもんなんですよね。
だから建て前を書いてしまう。
でも、
物欲の奥に、本当の願い事が隠れていました。
でも、
それは多分叶うことがないって事も分かってる。

こんな紙切れに願いを書いたところで、
誰がその願いを叶えてくれるんだ!

と言う冷めた自分もいた訳です。
短冊に願いを書く事に意味があるんじゃなくて、
願い事を思い描く事に意味があるんだと、
大人になってやっと理解出来ました。
 
知らないモノを知ろうとして、
笹に願いをかけるようなもの。

書かなかった願いは、
本当は一番願っていた事。
でも、
あの時叶わないって知っていた願い事、
やっぱり叶うことはありませんでした。









































時々大きな公園に行き、
子供たちが屈託なくはしゃいでいるのを観ると、
大変心が和みます。
大人の世界から見る子供の世界は、
自然体に見え、
とてもシンプルなものだと考えてしまう。
でも、
本当は大人の世界とさして変わらなく、
色んなことが渦巻いているんですよね。
喧嘩して、
悔しくて泣いて、
泣いたってどうしようもないのが分かってるから、
それが悔しくてまた泣けてくる。
我慢するか、
我慢しないかだけなら、
我慢なんかしないで
泣いたほうがいいかもしれない。

あの時、
先生が七夕のお話をしてくれました。
その話を聞きながら、
僕は頭の中に思い浮かべました。

天の川を笹(本当は竹)がほうき星のように流れています。
誰にも言えなかった願い事、
僕のお母さんがその笹(本当は竹)に乗ってやって来るのを、
こっそり夢想していた僕。

父の事を考えると、
口には出せなかったその願い事。

見えてるモノを見落として、
思うままを貫けば、誰かが悲しむかもしれない。

言わない方がいい事がある事を
子供だって分かってる。

それが子供の自然体なんだから、
大人とさして変わらない。

自分を観てる様で、
だから
和むのかも知れませんね。












今なら短冊に、
”いくら食べても健康体な身体が欲しい!”
と、迷う事無く書き込みそうな僕。
そんな僕のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。

こちらのブログをチラッと見てもらえる事が、
今の僕のささやかな願いなので、
よかったら見てやって下さいませ~