2013/02/22

洟そうそう






こんにちは。
いつまでも寒い今日この頃。
梅の花が咲き出したりするから、いよいよ春か!?
と、期待値があがったところに、
いきなり氷点下・・・
天気予報やなんかでよく聞く、”暦では春ですけど”ってセリフ、
うんざりです。
2月は春じゃない。
ちっとも春じゃない。
まったく春じゃない。
もうこのセリフは使用禁止にしてほしい。

寒さでイライラな今日この頃、
何だか鼻がムズムズ、
鼻水ズルズル・・・
ちっとも春らしくないのに、
一足早く鼻に春が訪れている僕のブログ。
ティッシュの花を片手に、
今日も少しお付合い願います~




































僕が花粉症になったのは19歳の頃。
それは1980年代中頃の事で、
その当時、世間でも花粉症が話題になりだしていました。

あの頃の僕は、
急に襲い来るくしゃみの連打に疲れ、
猛烈に襲い来る眼の痒みに視界は奪われ、
永遠にあふれ出る鼻水に呼吸を遮られ、
初春のこの時期、
僕は何時もボロボロでございました。
しかし、
歳を経るごとに症状は軽くなりだし、
今では鼻水がツツーッと、垂れるだけ。
体質が少しずつ変わったんでしょうね。
田舎でスクスクと育った健康的な僕だから、
アレルギーなんて無縁だと思っていました。
なので、花粉アレルギーだと分かった時は結構驚きました。
しかしその後、
猫を抱くと、花粉症と同じ症状が出ることに気付き、
ユスリカという蚊にもアレルギー反応が出ることも判明。
他にも、食事した後にふと気付くと、
手の指にプツプツと何やらアレルギー反応が出ていることもしばしば。
去年の夏には日焼けオイルでもアレルギーが出たし・・・
なんだ、
僕ってアレルギーだらけだったのね。






































僕が小学生の頃、
冬の寒い時期の服の袖はカピカピでございました。
その頃は、今のように携帯用のティッシュなど無く、
ちり紙を数枚畳んで親に持たされていました。
何時もそのちり紙をポケットに入れて持ち運んでいましたが、
ちり紙ってポケットの中でケバケバになるんですよね~、
だから、それが嫌でついつい忘れがちになる。
ハンカチなんかも、いつの間にか何処かへ行ってしまうし・・・
となれば服の袖しかない。
その当時、僕の通う小学校は黒いスモッグが制服でした。
制服が黒かったせいで、黒いスモッグの袖は、
ナメクジが這った後のようにヌラヌラと照かっておりました。
でも、ちょっとお金持ちの家の子の袖は何故か綺麗でしたね。
変えの制服が何着かあったんでしょうね。
僕の家では、今着ている制服が駄目になるまで、
新しいのは買って貰えませんでした。
だから制服の洗濯も週に1回になる。
お金持ちの綺麗な袖に憧れて、
月曜の朝、絶対に鼻水を袖で拭わないぞ!
と、硬く心に決めるんですが、
いつの間にか知らずに鼻水を拭っていたんでしょうね、
帰る頃には袖はカピカピでございました。

あの頃の鼻水って、
今の様な花粉による透明な鼻水じゃなかったんですよね。
あの当時のはちょっと黄みがかっていて、
青洟と呼ばれてました。
当時、高度成長期ではございましたが、
いわゆる良いもんを食べてる子供は少なかった。
育ち盛りでしたが栄養が足りた食事を皆が出来てはいませんでした。
故に、色々と感染症にかかっていたんですよね。
あの青洟は感染症と戦った白血球の死骸なんだそうです。
だから、青洟を垂れている子は栄養が足りてなかったんですね~
そんな青洟も、中学に上がる頃に出なくなりました。
でも、一人だけ中学生になっても青洟をたらしている子がいました。
その子は、
”自分の家は金持ちだ!”
と、事あるごとに自慢していたんですよね~
そんな彼が僕は苦手でしたが、
今から考えると、色々あったんだろうなと想像して、
何だか悲しくなりました。
































今では、青洟を垂らす子供は殆どいないんですね。
それはとても良い事なんだけど、
不意に青洟垂らして外を走り回る子供を探してしまいます。
記憶にある過去の風景を、ついつい求めてしまうんでしょうね。

寒い冬に小学生が歩いていると、

思い出は遠くあせても  おもかげ探して

よみがえる日は

洟そうそう~♪












こちらのブログで絵を描いたりしてます。

よかったら観て下さいませ~

Dark Blanco

http://darkblanco.blogspot.jp/





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