2013/03/08

卒虚写真






こんにちは。
やっと春になりましたね。
そこいら辺にアリンコやら蝶やらが出てきて、
先週までの閑散とした風景が嘘のようです。
先週以来、あのウグイスも時々我が家にやって来て、
ヘタクソな鳴き声を聞かせてくれます。
昼間だと家の中より表の方が暖かかったりするんですが、
そんな日の外は花粉でいっぱい。
いくら軽い花粉症の僕でも、ちょっと辛い。
短い春の殆どを花粉で台無しされる日本。
もしかしたら花粉対策で支払われる国民のお金を充てにする為、
政府がワザとやっているんじゃないだろうか?
などと、勘ぐりたくなるほど腹立たしい春の代償。
春の風物詩がマスクになりつつある今日、
何故、もっとお洒落な色や形のマスクを開発しないんでしょうね。
せっかくキメキメにお洒落している人がいても、
白いマスクで台無し。
マスクは別腹って事でしょうか。
花粉症じゃなくても付けたくなるようなマスクや、
バンダナやスカーフ、ストールなどをうまくアレンジして、
お洒落に花粉対策できる提案を
デザイナーや洋服店の店員さんに頑張ってもらいたいですね。
と、結局ひとまかせな僕のブログ。
どんなに鼻水が垂れようが、マスクだけはせずに過ごす洟垂れオヤジですが、
今日も少しお付合いくださいませ~








































3月は卒業の季節でもありますね。
街ではチラホラと、着物姿(+袴)の女子大生を見かけるようになりました。
しかし、今時の着物スタイルの時の髪型って、
僕にはちっとも良いと思えない。
髪の毛をうず高く盛り上げ、
逆立て、
くるくる巻き、
ピロロ~ンと垂らし、
そこへ花やら、
水引らしきものや、
ボンボリみたいなもんで飾りつけ。
まるで正月飾りみたい。
それに何時の間にやら今の袴は、派手な柄になっちゃってるんですね~
成人式で着る着物が派手になっているから、仕方がないんでしょうが、
ちっとも良いと思えない。
僕の袴のイメージは、”はいからさんが通る”のナンノちゃんであります。
本来、袴スタイルは明治時代の女学生が着ていたものですから、
柄は地味目ですし、中振袖が適している。
しかし今時は、成人式の時の本振袖に袴を穿くみたいですから、
どう見ても女学生には見えません。
しかも頭は盛大に盛り飾られている。
だいたい何故、成人式や卒業式に女性は、
着物(袴)スタイルをしなくてはならないんでしょうね。
こんな、呉服屋が儲ける為だけのような意味も全く無い、
隣がするから、私もするってだけの為に、
何十万(もしかすると何百万?)も親に出させるって、
成人のすることなんでしょうか?
卒業して花嫁修業で習い事などをする為に着物を着る人は、
卒業式は着物で参加し、
卒業して会社に就職するなら、
就職先に着ていくスーツなどで参加すれば良いと思います。
着飾りたい気持ちは分かりますが、
あまりにもメーカーや、メディアなどの嘘に単純に振り回されているさまは、
愚かにしか見えない。
いらない物は時代とともに削ぎ落とすものです。
着物なんて、今の時代には一番合ってないんですから、
これからの若い世代には、
いい意味での軽薄さを持って欲しいですね。
だからって僕に、
いい意味での軽薄って、どういう意味?
なんて聞かないでください。
僕は悪い意味で軽薄なんで・・・
雰囲気で察してください・・・^^;





































そんな事を僕がボヤいても、
おっさんが何か言ってるわ~なだけであります。
それでもボヤキたくなるお年頃。
卒業旅行ってのにも何か違和感を感じるし、
自分探しなんて言葉には、身の毛もよだってしまいます。
単に旅行に行くだけなんだから、
だまって行きなさいよ。
ただ単に言い訳でしかないそれらの言葉。
育メンだの、婚活だの、終活だの・・・
今じゃ妊活なんて言葉も出てきてる。
それらの言葉には必ずビジネスがくっ付いていて、
流行っているんではなく、ただただ踊らされているだけ。
もっともらしい耳障りのいい言葉で、
もっともらしく人を煽り、
もっともらしくお金を出させる。
今時のテレビのバラエティ番組の画面に、
ワイプだの、見出し?だの、字幕だのと、
画面いっぱいに色々表示されているのと同じで、
世の中の隙がどんどん無くなって来ている様な気がします。
今時の流行歌も耳障りのいい言葉で埋め尽くされ、
いい意味での隙が無い。
今の時代を生きる若者には、それで良いんでしょうが、
隙があった時代も生きた僕には、ちっとも面白くない。
隙だらけの過去が今より良いと言う訳ではありません。
古きよき時代なんてのは嘘です。
単に何処で立ち止まっているかという事です。
発展する事で世の中は快適になっているんでしょうが、
街で人と擦れ違いざまにぶつかっても、スミマセンの言葉も交わさない人。
携帯を擬視しながら前を見ずに歩く人々。
電車の床にじかに座って携帯をいじる学生。
見ていて息苦しくなります。
でも、これもまた通過点でしかない。
世の中は常に移ろうもので、定まったりしないんですよね。
自分が立ち止まってるなんて思ったら大間違いで、
ただただ虚ろっているだけかもしれません。






































止まる事は絶対ないこの世の中。
全てはすぐに過ぎ去って行きます。
でも、
写真の中だけは永遠に動かない。
そこに写っている自分は、鏡に映る自分より、
本物の自分に近いような気がします。
だから人は、写真を撮るのかも知れませんね。

悲しいことがあると開く皮風の表紙。

卒業写真のあの頃の僕は、

屈託なく笑っています。









こちらのブログもよろしくです!



Dark Blanco

http://darkblanco.blogspot.jp/





卒業写真 ハイ・ファイ・セット