2014/06/20

手のうらを太陽に











6月も後半になりました。
家の周りの田んぼは、
田植えのために水がはられ、
梅雨の晴れ間の気持ち良い青い空を写し込んでいます。
その空色の水面ギリギリをツバメが飛び交い、
エサの小虫を捕まえては雛たちに運んで行きます。
天敵であるカラスや鳶から雛を守るため,
わざわざ人の住んでいる近くに巣を造るツバメ達。
彼らは人を信じているんでしょう。
だから人も彼らの巣を必要もなしに壊したりしない。
彼らの信頼は、
人が自然の生き物である事を思い出させてくれます。













































犬は人が食べ物をくれることを知っている。
だからずっと人と共に生きている。
そんな犬と人、
最初は信頼だけで繋がっていたけど、
今は紐でも繋いでいる。
悲しいかな彼らは、
紐で繋がれたって友好的だし、
少々ぶたれたって友好的だ。
でも、
人と犬の関わりが最初からこの繋がりで始まっていたなら、
犬は人に近づかなかっただろうな。
誰だって紐で自由を奪われたくはない。
でも、
犬を撫でた時、
犬が気持ち良さそうな顔をしたなら、
こちらも気分が良くなる。
その時互いは信頼しあっているんだろうな。
今の世の中、
犬の放し飼いなんてとても出来ない。
かなりの田舎だって出来ない。
今の人間社会に犬の自由は無い。
人が改良したから、
人の為の生き物になってしまったんだろうな。


































生き物は誰の為にも生きていない。
彼らはただ生きているだけで、
ただそれだけ。
生きている意味なんて無い。
生きている意味なんて、
字や言葉を使う人が勝手につけているだけだ。
人が食べるように増やしているから、
牛や豚を食べてもいいなんて、
本当は誰もそんな事思ってやしない。
絶滅しかけの希少な動物だから、
大金を使って守らなきゃいけないなんて、
心から思ってやしない。
人が自然を守ろうなんて、
思い上がりも甚だしい。
食べるのを止めるように言われてる動物だって、
もの凄く美味しかったら、
養殖して食べるくせに。
食べるともの凄く肌が若返るなら、
養殖してもの凄く高値で売るくせに。
もし近所を飛び交うツバメの巣が、
高級中国料理のツバメの巣と同じなら、
やっぱり壊して食べるんだろうな。










































人が生き物を呼ぶ時、
無意識的に手の表(平)を見せる。
それは人に対しても同じで、
何も持ってないことを示して相手を安心させる為なんだろう。
でも表があれば裏がある。

動物が人に近づくのは、
何か得があるから。
人が動物に近づくのも得があるから。
ただそれだけだ。

当たり前のことだから、
表でも裏でもないか・・・






































人は生き物を食べる事で成り立っている。
だから、
人は生き物に対して敬意を持つ。

生き物に対して敬意を持つとは、
宗教的観念で生き物を擬人化しないことだと思う。

僕らはみんな生きている。
生きているから
うれしいんだ。


ただそれだけでいい。













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