6月も後半になりました。
家の周りの田んぼは、
田植えのために水がはられ、
梅雨の晴れ間の気持ち良い青い空を写し込んでいます。
その空色の水面ギリギリをツバメが飛び交い、
エサの小虫を捕まえては雛たちに運んで行きます。
天敵であるカラスや鳶から雛を守るため,
家の周りの田んぼは、
田植えのために水がはられ、
梅雨の晴れ間の気持ち良い青い空を写し込んでいます。
その空色の水面ギリギリをツバメが飛び交い、
エサの小虫を捕まえては雛たちに運んで行きます。
天敵であるカラスや鳶から雛を守るため,
わざわざ人の住んでいる近くに巣を造るツバメ達。
彼らは人を信じているんでしょう。
だから人も彼らの巣を必要もなしに壊したりしない。
彼らの信頼は、
人が自然の生き物である事を思い出させてくれます。
犬は人が食べ物をくれることを知っている。
だからずっと人と共に生きている。
そんな犬と人、
だからずっと人と共に生きている。
そんな犬と人、
最初は信頼だけで繋がっていたけど、
今は紐でも繋いでいる。
悲しいかな彼らは、
紐で繋がれたって友好的だし、
少々ぶたれたって友好的だ。
でも、
でも、
人と犬の関わりが最初からこの繋がりで始まっていたなら、
犬は人に近づかなかっただろうな。
誰だって紐で自由を奪われたくはない。
誰だって紐で自由を奪われたくはない。
でも、
犬を撫でた時、
犬が気持ち良さそうな顔をしたなら、
こちらも気分が良くなる。
その時互いは信頼しあっているんだろうな。
今の世の中、
犬の放し飼いなんてとても出来ない。
かなりの田舎だって出来ない。
今の人間社会に犬の自由は無い。
人が改良したから、
人の為の生き物になってしまったんだろうな。
生き物は誰の為にも生きていない。
彼らはただ生きているだけで、
ただそれだけ。
生きている意味なんて無い。
生きている意味なんて、
字や言葉を使う人が勝手につけているだけだ。
人が食べるように増やしているから、
牛や豚を食べてもいいなんて、
本当は誰もそんな事思ってやしない。
絶滅しかけの希少な動物だから、
大金を使って守らなきゃいけないなんて、
心から思ってやしない。
人が自然を守ろうなんて、
思い上がりも甚だしい。
食べるのを止めるように言われてる動物だって、
もの凄く美味しかったら、
養殖して食べるくせに。
食べるともの凄く肌が若返るなら、
養殖してもの凄く高値で売るくせに。
もし近所を飛び交うツバメの巣が、
高級中国料理のツバメの巣と同じなら、
やっぱり壊して食べるんだろうな。
人が生き物を呼ぶ時、
無意識的に手の表(平)を見せる。
それは人に対しても同じで、
何も持ってないことを示して相手を安心させる為なんだろう。
でも表があれば裏がある。
動物が人に近づくのは、
何か得があるから。
人が動物に近づくのも得があるから。
ただそれだけだ。
当たり前のことだから、
表でも裏でもないか・・・
人は生き物を食べる事で成り立っている。
だから、
人は生き物に対して敬意を持つ。
生き物に対して敬意を持つとは、
宗教的観念で生き物を擬人化しないことだと思う。
僕らはみんな生きている。
生きているから
うれしいんだ。
ただそれだけでいい。