こんにちは。
11月が終わってしまいます。
あんな事やこんな事が色々あったけど、
やっぱり今年もあっという間に早く過ぎてしまいました。
もちろんそんな気がするだけで、
時間は何時もと同じように過ぎていたはず。
若い頃は一日でさえ長く感じていた僕の脳みそは、
歳を経て働きが非常に散漫。
日々の記憶が脳みその中にある”とりあえずボックス”に放り込まれ、
しるしも付けずに蓋をしている。
だから、
振り返っても無記名の箱しか見えない。
箱だけだと何を入れたのか考えなくなってしまうから、
時間の経過が曖昧になってしまう。
若い頃は、
時間の経過が曖昧になってしまう。
若い頃は、
記憶をそんな箱には入れずに脳みその中で全部並べて、
振り返りさえすれば、
時間の経過が全部見えていたのかも知れません。
時間の経過が全部見えていたのかも知れません。
でも今は、
誇らしげに飾るほどの記憶もさほど無く、
見えるのは未整理の箱ばかり。
このブログを始めて2年が過ぎました。
未整理だった箱を整理するようにブログを続けていますが、
はたしてこれで整理できているのか如何か・・・
多分、
ブログ用に新たに箱を用意して、
未整理の箱から持って来たものをそこに放り込んでいるだけかも。
結局、箱が増えただけの、
片付けられない中年のブログにようこそ。
もう幾つ寝るとなんとやら、
年末大掃除で箱がよりいっそう増えそうな僕ですが、
今日も少しお付き合い下さいませ~
年末になると、
テレビや雑誌などは一年を振り返り、
その一年の出来事を蒸し返します。
いい事もあれば、
悪い事もあったであろうの一年。
キーワードである映像や文字があれば、
何時だって振り返る事ができ、
その当時の事を簡単に思い出せます。
記憶の箱を開けるには、
必ず何かのキーワードが必要なんですね。
そのキーワードが無いと絶対開かない。
そんな大事なキーワードは、
何処かにしまわれている訳でもなく、
何時も目の前に有ったりするんですよね。
ある時、
何処かの知らない田舎道を歩いていて、
フッと漂ってくるポットン便所臭。
それだけで、
子供の頃に泊めてもらった伯母さんの家の、
暗い電球で照らされたポットン便所を思い出します。
その便所が怖くて、
伯母さんについて来て貰った事や、
伯母さんの家の匂い。
カマドの中の火や、
土間の冷たさ。
そして、
その伯母さんのお葬式の時の事まで遡ってしまう。
キーワードはキーワードを思い出させ、
目から入る情報は新たなキーワードになり、
五感が冴えて来る。
気が付けば、
全く知らない土地で思い出にどっぷり浸かり、
しばらく現実に戻るのが難しくなってしまいます。
でも、
ポットン便所の臭いが、
何時も伯母さんの家の記憶の箱を開ける訳ではなく、
また別の思い出の蓋を開けることもあります。
僕が保育園に通っていた時、
ほとんどの事は思い出せないんですが、
保育園の便所の酷さだけは覚えてる。
小便器は無くコンクリートの壁に小便をかけるタイプで、
もの凄く汚かった。
大便器はもちろんポットン。
床は木の板で、
その板の隙間から糞尿地獄が覗いており、
子供たちを震え上がらせておりました。
あの頃、
給食を一番最初に食べた子が運動場に出て、
自分が一番だと言う事を誇示していました。
僕は中々早く給食を食べる事が出来ず、
何時も悔しい思いをしていました。
そんなある日、
給食でカレーライスが出されました。
カレーライスが大好物だった僕はそれを一気に食べ、
勢いよく運動場に飛び出しました。
運動場には誰も居ない。
終に僕は念願の一番になる事ができました。
その時僕は勝ち誇ったように、
ジャングルジムの頂上に乗った事を覚えています。
そして、
気が付けばまたしても、
記憶の世界にどっぷり浸かっている僕。
ポットン便所の臭いから、
カレーライスの記憶に繋がる品の無い自分。
でも、
あの頃の便所は、
僕の記憶の箱の万能キーワードかも知れませんね。
耳から聞こえるキーワードでも、
僕はよく記憶の沼に囚われてしまいます。
僕が通っていた小学校から聴こえてくるチャイムの音。
僕が通っていた頃と全く同じ音で、
時々家の窓を開た時にそのチャイムが聴こえてくると、
僕を不意にあの頃に戻してしまう。
土曜日の最後のチャイムの音を聞いた時、
喜び勇んで家に帰ると、
昼ごはんが用意されていて、
父と祖母と兄と僕とで食べる昼食がとても嬉しかった。
あの頃、
父の好物だった鯨のベーコンのピンク色が、
鮮明に思い出されます。
普段何気なく乗っている電車の音が、
高校時代の通学時の記憶の蓋を開けてくれます。
下校中の昼時のローカル電車。
一つの車両に3人しか乗ってない。
一人は僕で、
あとの二人は明らかに悪そうな何処かの高校生。
何が悪いって、
電車の中でタバコを吸っているんだから、
真面目な筈が無い。
僕は彼らにからまれやしないかと戦々恐々。
うっかり目が合うと、
メンチきったと難癖つけられること請け合いの、
ビーバップ時代。
ひたすら自然に存在を消す事に集中する為、
見慣れた車窓の風景を凝視する僕。
聴こえて来るのは、
彼らのギャハハハ!という笑い声と、
何時までたっても、
僕の降りる駅に着かない電車の音だけ。
記憶の蓋が開いて、
思い出に囚われてしまった時。
何故か胸が締めつけれれて、
寂しいような気持ちになります。
それは、
思い出の箱の蓋が開いたとたんそれは新しい過去に変わってしまい、
本当の意味で、
あの頃の思い出では無くなってしまうから。
それが、
何だか寂しいんじゃないでしょうか。
この一年。
あんな事や、
こんな事があったけど、
それは全て虚ろで、
昨日は今にしかなく、
明日も今にしかない。
キーワードは何時も目の前にしかないんですよね。
思い出の沼にどっぷり肩まで浸かって、
身動きできない僕のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。
こちらの生き物達が、
あなたの思い出の箱には入れる事を願ってます。
よかったら覗いてください。
↓
ダークブランコ Dark blanco
今日の日はさようなら 森山良子
このブログを始めて2年が過ぎました。
未整理だった箱を整理するようにブログを続けていますが、
はたしてこれで整理できているのか如何か・・・
多分、
ブログ用に新たに箱を用意して、
未整理の箱から持って来たものをそこに放り込んでいるだけかも。
結局、箱が増えただけの、
片付けられない中年のブログにようこそ。
もう幾つ寝るとなんとやら、
年末大掃除で箱がよりいっそう増えそうな僕ですが、
今日も少しお付き合い下さいませ~
年末になると、
テレビや雑誌などは一年を振り返り、
その一年の出来事を蒸し返します。
いい事もあれば、
悪い事もあったであろうの一年。
キーワードである映像や文字があれば、
何時だって振り返る事ができ、
その当時の事を簡単に思い出せます。
記憶の箱を開けるには、
必ず何かのキーワードが必要なんですね。
そのキーワードが無いと絶対開かない。
そんな大事なキーワードは、
何処かにしまわれている訳でもなく、
何時も目の前に有ったりするんですよね。
ある時、
何処かの知らない田舎道を歩いていて、
フッと漂ってくるポットン便所臭。
それだけで、
子供の頃に泊めてもらった伯母さんの家の、
暗い電球で照らされたポットン便所を思い出します。
その便所が怖くて、
伯母さんについて来て貰った事や、
伯母さんの家の匂い。
カマドの中の火や、
土間の冷たさ。
そして、
その伯母さんのお葬式の時の事まで遡ってしまう。
キーワードはキーワードを思い出させ、
目から入る情報は新たなキーワードになり、
五感が冴えて来る。
気が付けば、
全く知らない土地で思い出にどっぷり浸かり、
しばらく現実に戻るのが難しくなってしまいます。
でも、
ポットン便所の臭いが、
何時も伯母さんの家の記憶の箱を開ける訳ではなく、
また別の思い出の蓋を開けることもあります。
僕が保育園に通っていた時、
ほとんどの事は思い出せないんですが、
保育園の便所の酷さだけは覚えてる。
小便器は無くコンクリートの壁に小便をかけるタイプで、
もの凄く汚かった。
大便器はもちろんポットン。
床は木の板で、
その板の隙間から糞尿地獄が覗いており、
子供たちを震え上がらせておりました。
あの頃、
給食を一番最初に食べた子が運動場に出て、
自分が一番だと言う事を誇示していました。
僕は中々早く給食を食べる事が出来ず、
何時も悔しい思いをしていました。
そんなある日、
給食でカレーライスが出されました。
カレーライスが大好物だった僕はそれを一気に食べ、
勢いよく運動場に飛び出しました。
運動場には誰も居ない。
終に僕は念願の一番になる事ができました。
その時僕は勝ち誇ったように、
ジャングルジムの頂上に乗った事を覚えています。
そして、
気が付けばまたしても、
記憶の世界にどっぷり浸かっている僕。
ポットン便所の臭いから、
カレーライスの記憶に繋がる品の無い自分。
でも、
あの頃の便所は、
僕の記憶の箱の万能キーワードかも知れませんね。
耳から聞こえるキーワードでも、
僕はよく記憶の沼に囚われてしまいます。
僕が通っていた小学校から聴こえてくるチャイムの音。
僕が通っていた頃と全く同じ音で、
時々家の窓を開た時にそのチャイムが聴こえてくると、
僕を不意にあの頃に戻してしまう。
土曜日の最後のチャイムの音を聞いた時、
喜び勇んで家に帰ると、
昼ごはんが用意されていて、
父と祖母と兄と僕とで食べる昼食がとても嬉しかった。
あの頃、
父の好物だった鯨のベーコンのピンク色が、
鮮明に思い出されます。
普段何気なく乗っている電車の音が、
高校時代の通学時の記憶の蓋を開けてくれます。
下校中の昼時のローカル電車。
一つの車両に3人しか乗ってない。
一人は僕で、
あとの二人は明らかに悪そうな何処かの高校生。
何が悪いって、
電車の中でタバコを吸っているんだから、
真面目な筈が無い。
僕は彼らにからまれやしないかと戦々恐々。
うっかり目が合うと、
メンチきったと難癖つけられること請け合いの、
ビーバップ時代。
ひたすら自然に存在を消す事に集中する為、
見慣れた車窓の風景を凝視する僕。
聴こえて来るのは、
彼らのギャハハハ!という笑い声と、
何時までたっても、
僕の降りる駅に着かない電車の音だけ。
記憶の蓋が開いて、
思い出に囚われてしまった時。
何故か胸が締めつけれれて、
寂しいような気持ちになります。
それは、
思い出の箱の蓋が開いたとたんそれは新しい過去に変わってしまい、
本当の意味で、
あの頃の思い出では無くなってしまうから。
それが、
何だか寂しいんじゃないでしょうか。
この一年。
あんな事や、
こんな事があったけど、
それは全て虚ろで、
昨日は今にしかなく、
明日も今にしかない。
キーワードは何時も目の前にしかないんですよね。
思い出の沼にどっぷり肩まで浸かって、
身動きできない僕のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。
こちらの生き物達が、
あなたの思い出の箱には入れる事を願ってます。
よかったら覗いてください。
↓
ダークブランコ Dark blanco
今日の日はさようなら 森山良子