こんにちは。
突然の春の嵐に、
近所の桜の花はすっかり散り去り、
若葉が芽吹きだしました。
ここんところの気候は、
暑すぎず、寒すぎず、
ちょうど良い感じの肌寒さが非常に心地良い。
しかし、
とっても過ごし易い今日この頃なのに、
世間はなんだか物騒で、
つくづく、
世の中を良くするのも、
悪くするのも、
全て人しだいなんだなぁ~と思いました。
自然はハナから人の事なんて意識しておらず、
僕たちが勝手に解釈を付けてるだけ。
人に優しい声をかけてくれるのは、人しか居ないのに、
一番人を憎んでいるのは、人だったりする。
ロケットで宇宙に行って地球を見れば、
人は小さくて見えなくなってしまいます。
泣こうが、わめこうが、まったく見えやしません。
物事をふかんで見過ぎて、
人がどんどん宇宙の様に冷えてゆくようです。
隣の事なんて、
ほんとはどうでもいい事だけど、
やっぱりちょっと構いたい。
ちょうど良い距離感は、
一人一人全て違います。
僕のちょうど良いは、
遠かったり、
近かったり。
距離感定まらない僕のブログですが、
あなたのちょうど良い距離感で、
今日も少しだけ、お付合い下さいませ~
小学生の頃、
近所に殆ど喋らない同い年の子がおりました。
彼は喋れないんではなく、
喋らない。
まぁ、非常にシャイだったんですね。
僕もかなりのシャイ・ボーイでしたから、
クラスが同じになった事で登下校を共にするようになり、
一時期、よく遊んでいました。
あの頃に僕たちがしていた遊びは、
川へ魚を捕りにいったり、
入っちゃいけない所に入ってみたり、
ただただ、色んな所をぶらつくだけ。
その頃はTVゲームなんかも無いし、
ボードゲームなんかも買ってはもらえませんでした。
カードゲームも好きではなかったので、
僕たちは、かなり素朴な遊び方をしていました。
学校が終り、下校から遊びが始まります。
とは言っても、
溝の中を歩いたり、
水が無い用水路の、長いトンネルの中を這いながら探検したり、
どうしてもトイレが我慢できず、
彼に見張りをしてもらい、
タイヤ置き場の影で済ましたり・・・
そんな事をして遊んで?いましたが、
それでも彼は、
時々一言二言喋るだけで殆ど喋らない。
僕が延々と一人喋り続けていました。
その後、クラスが変わって頻繁に遊ばなくなりましたが、
登下校は時々共にしていました。
まぁ、僕との遊びが素朴過ぎたのかもしれませんけどね。
しかし、彼はその後も殆ど喋らず、
いよいよ中学校に進学です。
ちょうどその頃、
世間では横浜銀蝿や、
ダウンタウン・ブギウギバンド、
そして大御所のキャロルの矢沢永吉!
などが流行しておりまして、
花の不良ブーム真っ只中。
僕たちが通う予定の中学校には、
それはそれは見事なパンチパーマや、
鋭いエッジを効かせた剃り込みの兄さま、
まるで廊下掃除を一手に引き受けるかの様に長いスカートの姉さま、
そして、独特の姿勢でしゃがんでいる強面の面々。
そんな中に、彼のように無口な子が入学するんです。
僕は彼の事が心配でございました。
と言うか、
近所の幼なじみ全員が彼の事を心配しておりました。
自分の事も不安で一杯の、中学校入学式の朝。
僕の背後から、
”オハヨウ!”
と、大きく快活な声が掛けられ、僕が振り向くと、
おニューの学生服姿の彼がニコニコと立っておりました。
しかも彼は信じられないくらいハキハキと、
大きな声で僕に話し掛けて来ました。
僕は驚いてしまい、
暫くは鳩に豆鉄砲状態で、
あの時は、僕の方が無口になってしまいましたね~
彼は中学校に入る前に、一大決心をしたんでしょうね。
今までの生活や人との距離は居心地の良いものです。
そこから一歩踏み出すのは、とても勇気の要ることですよね。
何年か前、
別の幼なじみの親が亡くなり、
その無口だった彼と二人して葬式に出ました。
そして葬式が終わり、二人で久し振りの帰り道、
遠い向こうの方から、
”おと~さ~ん!”
と、女の子と男の子が駆けて来ました。
二人は彼の子供でした。
子供二人は僕たちのそばに駈け寄って、
各自父親の手を取り喋りだしました。
子供の手を取って歩く彼。
後ろで歩く僕は、一人でかなり感動していました。
翌年、
幼なじみだけで忘年会をした時、
めちゃくちゃ酔っ払って前後不覚の彼が、
冬の寒い田舎の何処かで、
5時間ほど行方不明になった事を添えておきます。
中学に入りますと、
僕のクラスに又もや話さない子がおりました。
彼の話さない振りは半端じゃなく、
断固として声を出さない。
しかも物凄く大人しい。
居る事を忘れてしまうほど大人しい彼。
構いたがりの僕の血が疼き、
何やかやと僕は彼に構っていました。
時には、親切の押し売りをし、
時には、彼にイタズラをして、
常にちょっかいをかけていました。
多分彼には迷惑だったでしょうが、
どうにも構わずに要られなかった僕。
その様は傍から見るといじめている様に見え、
時々女子から、
”いじめたりなや!”
などとお叱りを受けました。
僕的には、特別扱いや、
可愛そうだといたわる方が、いじめだと思っていましたから、
同じクラスの間、僕はずうっと彼に構い続けていました。
僕は彼の笑った顔を見たことがありませんでした。
授業中に先生が冗談を言い、
クラスメイトがみんな笑っているのに、
彼だけは笑っていない。
それを見ると何だか悲しくなりますよね。
彼は笑い方を知らないんだろうか?
と思い、彼の脇をくすぐってみたんですが、
嫌な顔をされただけ・・・
まぁ、こんな事をするから、いじめだと言われるんでしょうね・・・
ある時、彼の家の横を通った時、
彼の家の中から大きなしゃべり声が聞こえてきて、
それが彼の声だと気づいた時、
僕は大変驚きました。
そして、彼の笑い声を聞き、
家では笑っていると知って、
少し安心したんですが、
少し腹も立ちました。
僕の幼なじみの様な劇的変化は起こらず、
彼は中学の3年間を無口のままですごしました。
そして、
最後まで彼の笑った顔を見ることは出来ませんでした。
高校生になって電車で彼を見かけ、
久し振り!元気?
と、声を掛けたんですが、
彼は中学生の頃の様に無口のまま。
一度くらい笑ってくれたらいいのに。
人はそれぞれ唯一無二。
同じ考えや、同じ嗜好の人なんて、
本当はいないんです。
彼は喋れなかったんじゃないと僕は思います。
最初は喋れなかったんでしょうが、
途中からは喋らないと決めたんだと思います。
そして、喋らないと決めた彼は、
自分に枷を掛けたのかもしれません。
そして、
共有したいからと、
無理強いしていた僕は、
きっと独りよがりなだけだったのかもしれないけど、
それも僕が自分に掛けた枷を、
彼にも掛けようとしていただけでしょう。
皆で俺が俺がと主張して、
皆で思い思いに走り回り、
泣いたり、笑ったり。
互いに枷を掛け合ってる。
何かを求めて 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ~♪
彼は今、どうしているんでしょうか?
大きなお世話な僕に、今日もお付き合い下さいまして、
誠にありがとうございました。
お世話ついでに、こちらも覗いてもらえるとありがたいです^^