こんにちは。
笹が揺れる今日この頃。
シンシンと寒さが増し、
触る物はみんなキンキンに冷えている。
僕の身体はブルブル震えるばかりで、
いい加減この寒さにはうんざり。
早く何処かに行ってほしいんですが、
そんなつもりは無いらしく、
光熱費のみがホクホク顔で膨れて行きます。
意を決して、
大神神社(おおみわじんじゃ)に初詣にでも行こうと出かけたんですが、
元旦から一週間過ぎているのに大勢の参拝者。
ぴりりと寒いシーンとした神社の中、
自分が踏む砂利の音だけ聞きながら参拝したかったんですが、
7日経ってもてんやわんやの大騒ぎ。
2分間考えて車をUターンさせて帰ってきてしまいました。
子供の頃、
初詣は人が多いほど楽しかった。
人が多いほど夜店も多く出ますから、
子供の僕はよりいっそう興奮する。
あれ買って!
これ食べたい!
あれ見たい!
と、散々騒ぐも何も買って貰えず、
毎年ふくれっ面で新年を迎えていました。
それでも、
賽銭を投げ、
今年一年の願い事をし、
蛇が祭られてる大木付近のお神酒の匂いを嗅ぎ、
おみくじを引く。
人混みで小さな僕には周りが見えなくて、
父に手を引かれながら夜空を見上げると、
大きな杉の木がタイマツの明かりでゆらゆらしていました。
今では、
寒いだけで二の足を踏み、
人混みで三の足も出ない信心浅い僕のブログにようこそ。
罰当たり人生の僕ですが、
今日も少しお付き合い下さいませ~
僕が子供の頃、
元日の深夜には大神神社へ初詣に出かけていました。
人気の神社の周辺の道路は車で大渋滞。
大神神社から僕の家まで10km以上は離れているのに、
家の近所の県道は既にノロノロ渋滞。
僕の父は裏道をあちこち走り回り、
結局早かったのか遅かったのか、
小学生の僕は移動中にすっかり眠くなってウトウト。
ようやく神社付近に到着するも駐車場なんてあるはずも無く、
ケチな父が有料のぼったくり駐車場に車を停めるはずも無い。
結局大神神社からずい分離れた山の麓に車を駐車し、
照明も付いていない真っ暗な山道を神社目指してミッドナイト・トレッキング。
でも、同じような考えの人は結構居て、
深夜にもかかわらず真っ暗な山道に大勢の人がぞろぞろ歩いてる。
最初は寒くてネムネムだった僕でしたが、
非日常的な風景を目にし、
徐々に目が覚めて来て、深夜のハイキングがとても楽しくなってきました。
単純だった僕。
その道は大神神社の裏に続く道、
裏道でしたから夜店のある表の参道は通らない。
何かをねだりたくてもねだる夜店が無いのだからねだれない。
今考えると、
父の策略にはまり、
寒い夜道を散々歩かされただけのしんどい初詣。
一度だけ火縄を買ってもらい、
火縄にタイマツの火を付け、
火の点いた火縄を回しながら持ち帰り、
その火縄の火で雑煮に火をつけて食べました。
たいした事ではなかったんですが、
今でも覚えてる。
夜店で買ってもらった物なんかちっとも覚えてないのにね。
むしろ、
今ではその記憶しか残ってない。
大人になって知りましたが、
父と歩いた山道は山之辺の道で、
現在元旦の時は、
山道の入り口に警察が立っていて駐車出来ない。
もう再現は出来ませんが、
目をつむって思いを馳せれば、
今でも赤い火縄の火が暗闇にくるくる回っています。
大阪で一人暮らしをしていた頃、
正月には何時も実家に帰っていたんですが、
実は家に帰りたくなかった。
本心は下宿のコタツに入り、
テレビを見ながら独りで年を越してみたかった。
やろうと思えばいつでも出来たんですが、
父や祖母への罪悪感からそんな事は出来ませんでした。
あのボロボロの小さな安アパートで、
独りやさぐれてみたかった。
そして今、
現実に独りで正月を迎えている僕。
おせち料理も食べず、
大掃除もしなかった。
初詣にも今だ行かず、
墓参りもしていない。
完璧にやさぐれている今の僕。
でも、
近所には兄や親戚が住んでいますし、
友人や恋人もいますから、
完全な孤独じゃない。
それに、
完全な孤独なんて寂しすぎる。
でも、
心の何処かにそれを望んでいるところがあります。
まったく知らない街で独りでひっそりと暮らしてみたい。
なじみでもなんでもないスーパーで買い物をし、
聞いた事もなく意味も分からない方言を聞き、
小さな銭湯で居心地の悪い思いをしてみたい。
知らない街の夕暮れ時、
真っ赤な夕陽に染まった街で、
人の声や電車の音を聴き、
何処かの家の夕飯の匂いを嗅いで、
疎外感を味わいたい。
生まれた街でもないのに胸がギュっと締めつけられ、
孤独を感じる。
そんな願望が僕にはあります。
でも、
帰れる場所や迎えてくれる人があるゆえの我がままで、
本当の孤独なんか分かってはいません。
何故こんな気持ちになるのか。
僕に収集癖があるせいなのかも知れません。
今まで集めてきたどうでもいいようなガラクタ達。
沢山のCDや雑誌や本。
家や車や洋服、
責任や義務やその他もろもろ。
減らずに増えて行くばかり。
頭の中でも日々記憶は増えて、
色んな思いや感情が積み重なって行きます。
小さなヤドカリが大きな貝殻を背負い、
その貝殻に海藻やらイソギンチャクなんかを沢山生やして生活しているみたい。
やがてその重さで動けなくなる。
人はその見えない重さに時々耐え切れなくなり、
立ち止まったり、
座り込んだり、
泣いてみたり、
暴れてみたり。
これらはなにも解決してくれませんが、
そうすることで少しは払い落とせたような気がする。
そうすれば人はまた歩き出せます。
諦めでもないし、
開き直りでもないと思う。
多分思い悩んだ時、
人は少し大きくなるんでしょうね。
だから重たくなった貝殻をまた持ち上げられるんじゃないでしょうか。
背負っている貝殻が見えるなら、
人はそれぞれ生きてきた分の大きな世界を背負っていて、
本当は重くて足がプルプルしてるのに、
笑ったり、泣いたり、
怒ったり。
人は皆生きているだけで大変なんです。
知らない街を歩く時、
背負っているものを少し降ろせるような気がします。
少し身軽になって、
その街で新しいものを背負えるような気がするからかも知れません。
少しヤケになって、
やさぐれて全てどうでもいいと投げ出せば、
少しは楽になれる気がするから、
独りになりたいのかも知れません。
でも、
気がするだけなんですよね。
沢山のものを背負っていても、
一度に思い出せるのはほんの僅か。
頭の中でくるくると火縄の火が回っている間は、
僕は暗い山道を楽しく歩いています。
その火がフッと消えた時、
暗闇の中で僕の手を引く、
父の手の感触だけが残っています。
若干背負っているものが大きくなって、
足がプルプルし出している為、
泣き言を垂れてるだけの僕のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。
大体の事は自業自得。
思い悩んで大きくなるのみであります。
こちらの生き物たちがあなたの荷物になれるといいなぁ~
こちらでイラストのブログをしています。
よかったら覗いてやって下さい。
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