こんにちは。
ひと月の間に四季があった10月も終わり、
ぐっと秋が深まってきた11月。
表を歩いていますと、
キンモクセイの甘い香りが漂ってきて、
香りに付属する僕の過去の記憶がふとよみがえって来ます。
僕が小学生の頃、
香りつき文房具が流行ったことがあります。
フルーツの匂いのする消しゴムや、
花の香りがするボールペンなどが主でした。
その中でも特に僕がお気に入りだったのは、
キンモクセイの香りがするオレンジ色のボールペン。
給食まであと少しの4時間目、
あのボールペンの偽キンモクセイの甘い香りは、
僕の食欲を掻き立てる食前酒の役割をしていました。
でもたまに、
あまりにもお腹が空きすぎて、
美味しそうなバナナの香りがする消しゴムを、
食べてしまいたい衝動に駆られることもしばしば・・・
文具に凝っても、
それは勉学には繋がってはおらず、
食欲だけに直結していたあの頃。
食欲の秋なんて風情は関係なく、
年中お腹を減らしていたような気がします。
中学生の頃は、
嫌々ながらも部活動をしていましたから新陳代謝が良く、
もの凄い量のご飯を食べていました。
中学2年の修学旅行の時、
旅館のご飯があまりにも美味しくて、
調子に乗ってご飯を御代わりをしていましたら、
いつの間にか11杯も食べていて、
皆に凄いと言われましたが、
仲居さんは苦笑い。
今考えると、
とても卑しくてなんとも恥ずかしい思い出です。
そんな僕も今はいい歳の中年ですから、
そんな大食漢は奥のほうにしまい込んでいます。
しかし、
ふと気を抜くとあっさり出てきてしまう。
ご飯を11杯食べてもガリガリで、
まるで鹿のような身体だった僕。
その鹿が成長と共に馬になったと勘違いしている、
馬鹿な僕のブログにようこそ。
うっかり食べ過ぎた翌日に、
言い訳のように野菜を多めに食べる、
身も心も牛気分な僕ですが、
今日も少しお付き合い下さいませ~
46年も生きていると、
食べ過ぎて後悔した事や、
うっかり失敗して後悔した、
などの事が山のように溜まってきます。
ああすれば良かった、
こんな事しなければ良かった。
あんなこと言わなきゃ良かった、
こんな事聞かなきゃよかった。
などなどと、
人生は反省に次ぐ反省の日々。
いくら悔やめどあの一瞬は帰ってきません。
僕は物に対する執着が強く、
随分前の事でも結構引きずってしまう。
高校生の頃に友達に貸した、
楳図かずおのミイラ先生と、
鴨川つばめのマカロニ2と言う漫画本が今だ返ってこず、
20年以上たった今も忘れられない。
幸い、
今時はamazon.co.jp なるものがあり、
その辺の本屋に無い本でも買う事ができ、
去年ようやくマカロニ2と再開いたしました。
しかし、
高校生の頃に僕が買ったマカロニ2は何処かにあるはず。
連絡の途絶えた友達の家にあるのか、
全く知らない人の家にあるのか、
それともリサイクルされて別の読み物になってしまったのか・・・
貸した本と同じく、
貸したCDやDVDも返って来ない事が度々。
CDなどは貸した事すら忘れてしまい、
久し振りに聞きたいなと思ってCDのある棚を探せど見つからず、
ようやく誰かに貸した事に気が付く。
しかし、
いったい何時、誰に貸したかも思い出せない。
まぁ、
何年も聞いていなかったんですから、
無くてもいいもの。
でも、
CDショップでそのCDを見付けてしまうと何だか悔しくなり、
結局買い直してしまう。
しかし、
昔に死ぬほど聞いていたので、
結局買い直してもさほど聞かないんですよね。
結局CDの棚に並べられるだけ。
そんな折に友達が、
これ借りっぱなしになってたみたい、
ゴメンネ。
なんて言って持って来たりする。
かと思えば、
CDケースはあれど肝心のディスクが無いことも。
いったい何時何処でこんな事になったのか?
悔やみたくても、
何時の自分を悔やめばいいのか、
そんなことも出来ない自分が悔やまれる。
私バカよね~
おバカさんよね~♪
なんの気は無しに言った一言に、
何年たっても引きずられることもあれば、
自分では気づかぬうちに酷いことを言っていて、
知らず知らずに相手を怒らせていた、
なんて事もよくある人間社会。
とかく会話から起こるトラブルは多いですよね。
俺は言った!
俺は聞いてない!
だの、
お前、誰にもの言ってるんじゃい!
お前って誰に向かって言ってるんじゃい!
などと非常に面倒くさい。
大体はお互いに敬う気持ちが無い時にこんな事になってしまう。
言葉だけへりくだっていても、
本心から出ていなければそれは伝わってくる。
言ってる方が別に本心が知れても構わないと思っている様子だと、
聞いてるほうは倍腹が立つ。
人と人の関係は、
多くの言葉で成り立っているようですが、
実はシンプルなものです。
好きか嫌いかだけ。
お互いに相手が好きならば早々もめる事はないんでしょうが、
好きの度合いは人それぞれ。
片方の好きが増しすぎたり、
相手の好きがよそに行ったり。
お互いがちょうど良い好きの度合いになるのは、
一時の事だけかもしれません。
仕事仲間だろうが、
友達であろうが、
異性だろうが、
同性であろうが、
相手の事を考え思っている瞬間は、
恋の感覚とほぼ同じ。
お互いが同じような事を考え合っていれば、
その瞬間のそれは愛なんですよね。
恋人同士であればそこに性交渉が加わるだけで、
それ以外はやっぱりそれは愛なんです。
世の中には、
いたる所に大なり小なりの愛がある訳です。
言い争いをすれば、
どちらも傷付く。
同じ事で笑いあえれば、
とても心が平穏になれる。
でも、
片方の思いが大きくなりすぎると、
もう片方はしぼんでしまう事も。
人の心ですから、
心はいつかは離れてしまう。
普段の社会生活の中で、
お互いが知らず知らずの内に大恋愛をしている場合もあるし、
知らない間に大失恋をしてる場合もある訳です。
まぁ、
こんな事を意識して人と接すると、
何なんだお前?
と、相手に思われるでしょうし、
どの道上手くいかないでしょう。
まぁ、
そんな事まで恋愛に似ていたりもするんですね。
喧嘩をして
心残りなく言いたい事を相手にぶつけても、
お互いすっきりはしないのは、
お互いの間に愛があったと言う事と今頃気付いた46歳。
私バカよね~
おバカさんよね~♪
とかく世の中、
生きてゆくのは大変。
多くの愛を育む人もいれば、
少ない愛を育む人もいる訳です。
若干疲れて、
心が肩凝りのように凝ってしまっている僕は、
少ない愛を大切に育んでいきたい。
でも、
世の中思うようには行きませんよね~
秋風が吹く 港の町を
船が出てゆくように旅に出れば、
新たな愛が見付かるかも!
なんて想像する僕って、
おバカさんよね~♪
執着心で心のこりだらけの僕のブログですが、
今日もお付き合い下さってありがとうございました。
こちらで心のこりしないように好き勝手に絵を描いています。
よかったら覗いてみて下さい。
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