こんにちは。
シーンと静まり返った朝早く、
隣の家の梅ノ木で、ウグイスが鳴きだしました。
ホ~・・・ケキョケキョケヨ・・・
まだ若いウグイスらしく、うまく鳴くことが出来ていませんでしたが、
それでも綺麗な声は辺りに鳴り響いていました。
あんなに小さくて何処にいるのか分からない様な小鳥に、
とても心が奪われます。
春の到来を告げる、
と言うだけではない美しい鳴き声。
櫛でとく髪の毛は無くなりましたが、
バサバサになった僕の心は、櫛でとかされる気分でございます。
清々しいウグイスフィーリングな僕のブログ、
書き終える頃にはカラスに変わってしまうかもしれませんが、
今日も少しお付合いくださいませ~
たまに鏡を覗いた時、
自分の父親を発見することが多くなりました。
若い頃の自分は、結構母親似だったんですが、
日を追うごとに父親成分が増してきて、
今じゃ見事に父親のクローン状態。
子どもの頃によく父親が、
”お前は橋の下に捨てられてたんだよ。”
などと言う悪趣味な冗談を真に受け、
僕の本当の親は何処かの大金持ちで、
僕は何らかの事情で誘拐され橋の下に捨てられたんだ!
そして今、その大金持ちの本当の親は僕を捜しているかもしれない!
と、昭和の少女マンガの主人公気取りで、
まだ見ぬ大豪邸を夢見たりしておりました。
しかし、鏡に映った父親は、
僕の出生に大した秘密は無い事を物語っています。
僕が子供の頃の漫画やテレビドラマなどの主人公は、
実は貰い子だった!とか、
実は王子様だった!とか、
実は宇宙人だった!などと、
変わった出生のキャラクターが多かった。
故に、あの頃の子供たちも心の中で密かに、
自分にも人とは違う特別な秘密がある事を、夢想していたはずです。
また、仮面ライダーのように、
改造人間にされることを願ってみたり、
変な呪文を唱えると変身できるかもしれない!と、
色々な呪文を試してみたり、
もしかしたらテレポテーション出来るかもしれない!と、
鼻血が出るぐらい力んでみたりする子も居たはずです。
この、”居たはず”と言うのは、
こんなこと恥ずかしくて誰も口に出して言いませんから、
未確認と言う意味の”居たはず”なんです。
でも、何故このような例え話がすらすら出てくるかと言うと、
全て自分が子どもの頃に夢想したり、
試したりしていた事だからなんですよね~^^
・・・・。
サナギマンがイナズマンに変身するように、
あの頃の僕は、何か別の者になりたかった・・・
それはヒーローに憧れていたのではなく、
現状に満足していなかったんでしょうね。
子供の頃、
毎日毎日、飽きる事無くテレビを観ていました。
そこに映っている世界は華やかで、
その中の人々はお洒落な装いで、
理想的な生活を送っていました。
いや、
そう、見えていました。
だから、奈良の田んぼだらけの田舎にある我が家は、
古臭くて、
虫だらけで、
暗かった。
あまりにもテレビの中と自分の生活が違いすぎる。
だいたい田舎すぎて、子供が遊ぶしゃれた公園すらありません。
テレビとかぶるようなものが近くに全く無かった。
けれど、その中でもがいていた僕。
時代は70年代です。
その当時流行っていたお気に入りのパンタロンは、
背が伸びてくるぶしがすっかり見えてしまい、
その上、
膝が破れたので親にヒザあてが縫い付けられていました。
薄い水色のパンタロンなのにまっ黒いヒザあて・・・
センスのかけらもございません。
でも、髪型ぐらいなら自分で何とかできます。
70年代のお洒落な髪型はロングヘヤーでございました。
ヒデキも、ゴローもみんなロンゲ。
僕も断固として散髪に行かず、
髪の毛を許される範囲で伸ばしました。
しかし、子供ですから、
道を歩けば、女の子に間違われ、
同級生にはオカマと言われ、
近所のおばさんが、
前髪が長すぎて目に悪いから少し切ってあげると言われ、
まかせたらおもいっきりオンザ眉毛に前髪だけ切られてしまい、
まるでお菊人形の出来損ないみたいになった事もありました。
あぁ~、
まだ見ぬ大富豪の本当の親が、
新しいパンタロンを持って迎えに来ないかな~
あぁ~、
ショッカーに捕まって改造されないかな~
あぁ~、
赤い鳥の歌みたいに、
背中に白い翼でも生えないかな~
無理と分かっているから、非現実的なものを求めてしまう。
だいたい、子供の内に改造されたら、
ず~っと子供のままだし、
背中に翼が生えるんだったら良いけど、
間違って両手が翼になったら、
スプーンすら持てないだろうから、
かなり不便です。
あの頃、テレビの世界と僕の世界の一番の違いは、
母親が居なかった事でした。
現在では良いか悪いかは別として、離婚している家庭は多ございますが、
あの頃の、特に田舎では親が離婚している家庭は少なかった。
それに、田舎社会は特に離婚を許さなかったんですよね~
日本が急激に近代化していたその頃、
時代と共に村社会は変わらなければならないんですが、
田舎故に中々変えられなかったんでしょうね。
そして、
僕の母親も、もがいていたんでしょうね。
時間が過ぎて、
今、鏡に映っている親父成分だらけに見える僕の顔には、
写真でしか見た事のない母親の、年齢を経た今の母親成分も、
僕の顔に見て取れるんだろうか?
母親は翼を得て何処かへ飛んで行ってしまい、
父親ももう居ない。
飛んで行きたかったのは僕のほうなのにね~
随分大人になってから教えられました。
僕には異父兄弟が居るらしく、
この世に会った事の無い弟が2人いるらしい。
あぁ~、
僕にもちょっとだけ秘密があったのね。
こちらのブログで絵を描いたりしてます。
よかったら観て下さいませ~
Dark Blanco
↓
http://darkblanco.blogspot.jp/
翼をください 赤い鳥
Son unas fotografías muy interesantes y bellas.
返信削除Observo el gran recorrido que has hecho atravez del campo y de la ciudad.Muy interesante todo.
Querido balamgo,
削除Gracias por los buenos comentarios!
La primavera está llegando pronto en Japón.
Yo sería divertido para ir afuera a tomar fotos.
También quiero transmitir tales sentimientos.
Gracias como siempre!
Un abrazo.
Por las imagenes observo la llegada inminente de la primavera.
返信削除Todas las fotografías son realmente muy bonitas, aunque hay algunas muy especiales.
Un abrazo.
Querido laisladelaquietud,
削除Muchas gracias por sus lindos comentarios!
Estoy muy agradecido por la llegada de la primavera.
Sin embargo, tus elogios están agradecidos por más!
Un abrazo.
Magnifico recorrido el que nos muestras con unas fotos de gran belleza. Un abrazo, amigo Yukihiro.
返信削除Querido David,
削除Gracias por los comentarios agradables!
Me alegro de que gustaran mis fotos.
Que estoy siempre bienvenido por su visita!
Un abrazo, amigo David.
ゆきちゃん。
返信削除あたしは、一昨年くらいに30数年ぶりに父親に再会したよ。
ずっとずっと会いたかった大好きなお父さんに。
あたしは会いたいと思っているけど、お父さんはどう思っているんだろうって考えると
怖くてなかなか会えずにいたのです。
写真と、少しの記憶の中のお父さんは、実際会ってみると少しおじさんになっていて
お話しすると、声は記憶になかったので『こんな声だったのかー』って
新しい発見^^
あたしにも異母兄弟が二人いるんだって。あったことないけどね。
ヒトミちゃん、
削除コメントありがとうございます。
30数年ぶり・・・
そんな事があったんですね。
脳で記憶したことは消せないそうです。
ただ思い出せないだけなんだって。
人は毎日見ることで、前の記憶に今の記憶を重ねて、覚えててゆくんだそうです。
そして、その確認が出来ることで脳がとホッとする。
それが日々の小さな幸せ。
30年前の記憶と今の記憶が重なった時、言葉にする必要のない幸福感があったことと思います。
僕の母は僕が2~3歳の頃に家を出たので、どうしても動いている母を思い出せない。
だから、母の声、しぐさや歩き方、匂いなども思い出せない。
母が出て行った時、僕はずうっと泣いていたらしいんですが、それも思い出せない。
記憶は写真の中だけです。
だから、会いたいという気持ちはあまり湧かない。
母はどうなんだろう?って思うこともありましたが、
無いものを必死に手探りしているみたいで、いつも考える事を途中で止めてしまいます。
母は出向いて行けるほど近くに住んでいるらしいけど、40数年の間を埋めるものはなんにも無いような気がします。
遠い昔の記憶は、時々僕の心の何処かをチクチク刺激するぐらいで、今はそれで良いと思ってます。
それより、今目の前にある大事なものの記憶を、日々出来るだけ重ねて生きたいですね、お互いに^^
いつもありがとう!