2013/11/30

虚の日はさようなら








こんにちは。
11月が終わってしまいます。
あんな事やこんな事が色々あったけど、
やっぱり今年もあっという間に早く過ぎてしまいました。
もちろんそんな気がするだけで、
時間は何時もと同じように過ぎていたはず。
若い頃は一日でさえ長く感じていた僕の脳みそは、
歳を経て働きが非常に散漫。
日々の記憶が脳みその中にある”とりあえずボックス”に放り込まれ、
しるしも付けずに蓋をしている。
だから、
振り返っても無記名の箱しか見えない。
箱だけだと何を入れたのか考えなくなってしまうから、
時間の経過が曖昧になってしまう。
若い頃は、
記憶をそんな箱には入れずに脳みその中で全部並べて、
振り返りさえすれば、
時間の経過が全部見えていたのかも知れません。
でも今は、
誇らしげに飾るほどの記憶もさほど無く、
見えるのは未整理の箱ばかり。
このブログを始めて2年が過ぎました。
未整理だった箱を整理するようにブログを続けていますが、
はたしてこれで整理できているのか如何か・・・
多分、
ブログ用に新たに箱を用意して、
未整理の箱から持って来たものをそこに放り込んでいるだけかも。
結局、箱が増えただけの、
片付けられない中年のブログにようこそ。
もう幾つ寝るとなんとやら、
年末大掃除で箱がよりいっそう増えそうな僕ですが、
今日も少しお付き合い下さいませ~




































年末になると、
テレビや雑誌などは一年を振り返り、
その一年の出来事を蒸し返します。
いい事もあれば、
悪い事もあったであろうの一年。
キーワードである映像や文字があれば、
何時だって振り返る事ができ、
その当時の事を簡単に思い出せます。
記憶の箱を開けるには、
必ず何かのキーワードが必要なんですね。
そのキーワードが無いと絶対開かない。
そんな大事なキーワードは、
何処かにしまわれている訳でもなく、
何時も目の前に有ったりするんですよね。
ある時、
何処かの知らない田舎道を歩いていて、
フッと漂ってくるポットン便所臭。
それだけで、
子供の頃に泊めてもらった伯母さんの家の、
暗い電球で照らされたポットン便所を思い出します。
その便所が怖くて、
伯母さんについて来て貰った事や、
伯母さんの家の匂い。
カマドの中の火や、
土間の冷たさ。
そして、
その伯母さんのお葬式の時の事まで遡ってしまう。
キーワードはキーワードを思い出させ、
目から入る情報は新たなキーワードになり、
五感が冴えて来る。
気が付けば、
全く知らない土地で思い出にどっぷり浸かり、
しばらく現実に戻るのが難しくなってしまいます。
でも、
ポットン便所の臭いが、
何時も伯母さんの家の記憶の箱を開ける訳ではなく、
また別の思い出の蓋を開けることもあります。
僕が保育園に通っていた時、
ほとんどの事は思い出せないんですが、
保育園の便所の酷さだけは覚えてる。
小便器は無くコンクリートの壁に小便をかけるタイプで、
もの凄く汚かった。
大便器はもちろんポットン。
床は木の板で、
その板の隙間から糞尿地獄が覗いており、
子供たちを震え上がらせておりました。
あの頃、
給食を一番最初に食べた子が運動場に出て、
自分が一番だと言う事を誇示していました。
僕は中々早く給食を食べる事が出来ず、
何時も悔しい思いをしていました。
そんなある日、
給食でカレーライスが出されました。
カレーライスが大好物だった僕はそれを一気に食べ、
勢いよく運動場に飛び出しました。
運動場には誰も居ない。
終に僕は念願の一番になる事ができました。
その時僕は勝ち誇ったように、
ジャングルジムの頂上に乗った事を覚えています。

そして、
気が付けばまたしても、
記憶の世界にどっぷり浸かっている僕。
ポットン便所の臭いから、
カレーライスの記憶に繋がる品の無い自分。
でも、
あの頃の便所は、
僕の記憶の箱の万能キーワードかも知れませんね。




































耳から聞こえるキーワードでも、
僕はよく記憶の沼に囚われてしまいます。

僕が通っていた小学校から聴こえてくるチャイムの音。
僕が通っていた頃と全く同じ音で、
時々家の窓を開た時にそのチャイムが聴こえてくると、
僕を不意にあの頃に戻してしまう。
土曜日の最後のチャイムの音を聞いた時、
喜び勇んで家に帰ると、
昼ごはんが用意されていて、
父と祖母と兄と僕とで食べる昼食がとても嬉しかった。
あの頃、
父の好物だった鯨のベーコンのピンク色が、
鮮明に思い出されます。

普段何気なく乗っている電車の音が、
高校時代の通学時の記憶の蓋を開けてくれます。
下校中の昼時のローカル電車。
一つの車両に3人しか乗ってない。
一人は僕で、
あとの二人は明らかに悪そうな何処かの高校生。
何が悪いって、
電車の中でタバコを吸っているんだから、
真面目な筈が無い。
僕は彼らにからまれやしないかと戦々恐々。
うっかり目が合うと、
メンチきったと難癖つけられること請け合いの、
ビーバップ時代。
ひたすら自然に存在を消す事に集中する為、
見慣れた車窓の風景を凝視する僕。
聴こえて来るのは、
彼らのギャハハハ!という笑い声と、
何時までたっても、
僕の降りる駅に着かない電車の音だけ。





































記憶の蓋が開いて、
思い出に囚われてしまった時。
何故か胸が締めつけれれて、
寂しいような気持ちになります。
それは、
思い出の箱の蓋が開いたとたんそれは新しい過去に変わってしまい、
本当の意味で、
あの頃の思い出では無くなってしまうから。
それが、
何だか寂しいんじゃないでしょうか。

この一年。
あんな事や、
こんな事があったけど、
それは全て虚ろで、
昨日は今にしかなく、
明日も今にしかない。

キーワードは何時も目の前にしかないんですよね。












思い出の沼にどっぷり肩まで浸かって、
身動きできない僕のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。

こちらの生き物達が、
あなたの思い出の箱には入れる事を願ってます。
よかったら覗いてください。



ダークブランコ Dark blanco 




今日の日はさようなら 森山良子














2013/11/22

君は偏執さ











こんにちは。
また一回とばしてしまいました。
久々にごめんなさい。
こう寒いと色んな事が鈍くなってしまい、
何かと先延ばしにしてしまいます。
全くもって反省あるのみでございます。

しかし寒い。
寒すぎる。
朝目が覚めた時、
非常におしっこがしたいんですが、
どうしても布団から出られない。
もう少し我慢。
あとちょっとだけ我慢。
あと1分だけ・・・
と、
なんともいじましい!
僕が子供の頃は実家の2階で寝ていました。
古い家でしたから2階にはトイレがありません。
トイレに行くには冷たい廊下を通り、
その先の冷たい階段を降り、
トイレに至ります。
そしてまたそこから、
同じ行程を踏んで温かい布団まで戻らなければなりません。
だから、
この時期は毎朝同じようないじましい我慢が繰り返されていました。
あ~、なんでうちの家の2階にはトイレが無いんだろう。
と、愚痴りながら冷たい階段を下りたものです。
そして今、
僕が住んでいる家の2階には念願のトイレがあります。
しかも寝室のすぐ近くに!
なのに、
今だに毎朝布団の中で繰り返されているいじましい我慢。
どうやら問題はトイレの位置ではなく、
膀胱の大きさでもない。
それはこの寒さのせいなんだ!
と、
いい大人になっても、
膀胱いっぱいに”いじましさ”を貯めてる僕のブログにようこそ。
本当は、
”意志の強さ”を貯め込みたい膀胱炎ギリギリの僕ですが、
今日も少しお付き合い下さいませ~










































寒いとしたくなくなる事は山のようにあります。
台所の洗い物、
洗濯、
そして洗車。
この時期に水を触る事はとても嫌ですよね。
でも、
嫌だけどやらなくてはならない。
溜めに溜めてまとめてするもんだから、
大仕事になってしまう。
その大仕事が面倒だから、
又しても溜め込んでしまう。
結局それの繰り返し。
冬のスパイラルにかじかむ僕の指は、
カサカサとひび割れだしています。
そんな僕ですが、
若い頃は少し違っていました。
学生の頃、
僕は何故か学校の清掃をするのがとても好きでした。
授業が終わり、
床や廊下を箒で掃いたり、
モップをかけたりするのが何故か楽しかった。
汚れている所を自分が掃除する事で、
だんだんと綺麗になっていくのを見るのが好きだった。
特に好きだったのはトイレの掃除。
トイレというのは臭いし汚い。
誰でもそうでしょうが、
臭くて汚いトイレは使いたくない。
ましてや掃除なんてしたくも無い!
でも、
皆は当番だから掃除をしなければならない。
結果、
嫌々掃除をするもんだから、
綺麗にならないんですよね。
だから、
皆は臭くて汚いトイレを使う事になるんですよね。
僕はそれが嫌だから、
自分が使うのに不快にならないよう、
納得いくように自分で掃除したくなるんですよね。
また、
僕が綺麗にしたトイレを皆に使って欲しくなる。
あ、
これを読んでくれている方々の引いていく音が聴こえる・・・

まぁ、
この考えはかなり変なんだろうなと、
学生の頃の自分も分かっていました。
なので、
そんな事は一言も口に出さなかった。
こんな事を喋ったりしたら、
おかしいと思われたでしょうし、
下手すると全ての掃除を僕一人に押し付けられたかもしれない。
まぁ、
適当に掃除された教室より、
押し付けられてでも僕が綺麗に掃除した教室のほうが、
心の中では良いと思っていましたけどね。
安易に考えると、
単に掃除が好きなのか?
はたまた、
奉仕するのが好きなのか?
よく俺はSだ、
私はMだと聞きます。
それなら僕はM、
マゾヒスト(被虐嗜好者)なんじゃないのか?
こういうものはもって生まれてくる訳でなく、
多分、
自分で決めるもんなんでしょうね。
意識した時に自分で決めるような気がします。
なので何の疑いも無く、
僕は完璧なM、
なんでしょうね。













































僕の掃除好きは、
学校だけにとどまっていませんでした。
これは小学生の頃からなんですが、
自宅でも、
居間が散らかっていると必ず片付ける。
家のトイレが汚れていると、
必ず掃除する。
父親の事務机が書類やなんかで散らかっていれば、
勝手に片付けてしまい、
後で叱られてしまう。
親戚の家に遊びに行っても、
散らかっていれば平気で片付けてしまい、
かなり嫌味な子供でございました。
僅かだけ在学していた大学生の頃。
アパートに下宿していた時も、
同じアパートに住んでいた友人の部屋に遊びに行くんですが、
大体は汚いんですよね。
なので、
遊びに行く度に少しずつ掃除してしまう。
まぁ、
非常にありがた迷惑な僕でありました。
人はこんな僕の事を掃除好きと言います。
確かに嫌いではないんですが、
そんなに好きでもない。
現に、
僕の部屋はそんなに綺麗ではないんです。
埃は積もってるし、
ゴミ箱もいっぱいだったりします。
自分の事は後回しで、
他の人を喜ばせたいんでしょうか?
確かに、
喜んでもらえたり、
褒められたりするのは気分がいいものです。
でも、
なんか違う。
これって、
完全なるマゾヒスト。
度を越したいわゆる
"ドM"
ってやつなんでしょうか?












































よくよく考えますと、
僕が綺麗にした教室や、トイレ。
そして、
僕が片付けた僕のではない部屋を、
人が使うのを見るのが好きなような気がします。
多分それは犬のおしっこと同じ。
その場所を片付けて自分好みに変えてしまうのは、
その場所を自分のテリトリー(縄張り)にしてしまう事なんじゃないか?
自分の物にして、
それを他人に開放する。
それって、
とっても自分本位。
かなりサディスト加虐嗜好者)なのかもしれない。
でも、
それだとかなり自分で納得が行く。
これから、
僕は完璧なS、
って事にしたいと思います。

これって、
ちょっとこれからの人生が楽しくなりそう。





















とは言いつつ、
結局は両方を併せ持つ、
どっちつかずのサドマゾ野郎のブログにお付き合い下さって、
誠にありがとうございました。

こちらは少し凶暴な生き物達のテリトリーですが、
よかったら覗いてやって下さいまし。



Dark blanco






君は完璧さ カルチャー・クラブ