2012/03/30

三百六十五歩のMarch


こんにちは、
春になり目に見えるものの角が取れ、
丸みを帯びてきているような気がするのは、
春になって浮き足立ってる僕の気持ちのせいだけではなく、
引き算されていた冬とは逆に、
足し算されだした春が霞んで見えているせいなんでしょうか。
もしくは目に花粉が溜まりすぎているだけかも・・・・
どちらにしても、
室内でじっとしてるのはもったいないですね~
小高い丘の芝生の上に裸足であお向けに寝転ぶと、
目に入るのは淡い青空と薄い雲、
耳にはヒバリやウグイスなどの小鳥のさえずり。
足の指を登ってゆくてんとう虫、
あぁ~、心が溶けてゆく・・・
何もかもがまどろんでゆく・・・・

人にはこんな瞬間が少し必要でございます。
少しの時間でかまわないと思いますので、
短い春のこの時期、
無理にでも時間を少し作って呆けてくださいませ。

本日も私のブログに来て頂いて誠にありがとうございます。
それでは少しお付き合いくださいませ~










子供の頃に家族の布団を干すのは私の役目でした。
特に今時分の季節の天気の良い日にする布団干しは、
格別でありました。
二階の屋根に布団を並べてゆくんですが、
みるみる布団が暖かく膨らんできて、
ついついその布団の上に寝そべってしまいます。
布団を軽くトーストした感じの匂いが心地よく、
屋根からズリ落ちる危険も忘れて寝てしまう事もありました。
今じゃベッドに寝ているので、
敷布団も無くなり、掛け布団を干す事も無く、
無駄に瓦屋根がトーストされています。
もし私が今、子供の頃のように屋根に布団を並べ、
その上に寝転べば、
手に触れる感覚や匂いが数十年前の記憶と繋がり、
目を閉じれば、時間は無くなってしまうんでしょうね。
しかし、今本当にそんなことしたら、
確実に布団ごと屋根からま真っ逆さまなんですよね~







よく旅行などで長い間家を離れていて、
やっと家に帰ってきたらホッとしますよね。
旅行などで常に新しいものを見たり、聞いたり、感じたりして記憶していくのは、
脳にかなり頑張ってもらってる訳で、
見慣れた場所に帰るのは、
脳にかける負担が軽減されるせいだと思ってるんですが、
如何なもんでしょうか?
私、1度だけ海外旅行したことがあります。
ベタにハワイに行ってきたんですが、
行ってる間中ホント気候が気持ちよくて!
確かにこんな気持ちの良い場所はみんなが来る訳だ!
とかなり納得してしまいました。
けれど旅行のストレスも多少はありました。
コンビニの韓国人のおばちゃんがちょっと怒ってて怖かった事とか、
朝日を見に行こうと暗いうちから道を歩いていたら、
酔っ払った白人女性が
”私も一緒に行く~”
と、ヨロヨロ付いて来て困った、
などなどいろんなストレスがあったんですが、結果は・・・
気持ちの良い気候と綺麗な風景で、
少しのストレスは旅のスパイスになりました。
じゃぁ、私は幸せだったのか?

私はその時幸せでした。
肌に心地よく感じる感覚は、
私の記憶の中の幸せの引き出しから出されるもので、
香しいココナッツオイルの香りの記憶も、
幸せの引き出しの中の美味しかったファイル
から出してきたもので照合されています。
故に幸せなんです。
泊まっていた安宿で見た巨大なゴキブリは
私の記憶の恐怖引き出しの何処にも無いサイズで、
新たな怖いものファイルが恐怖引き出しに加わりました。







人生はよく旅や、道に例えられます。
実際は何処にも行かず、
記憶が増えるだけなんですけどね。
一日一歩、三日で散歩、
三歩進んで二歩さがる。
千里の道も一歩から、
けれど向かう先は幸せなんかじゃなく、
ただ道が続いているから歩くのみで、
終わりは・・・
幸せは歩いてはこないんですよね。
そっと目を閉じるだけでいいんです。

そんな事を想った3月の暮れ・・・

2012/03/23

これが私の怒る道


こんにちは。
春でございますね~
そんなにひどい訳ではないんですが、
目が痒いです。
鼻も痒いです。
二十歳ぐらいの頃はひどい花粉症でしたが、
歳を経るごとに治まって来て、
今じゃ少し痒いぐらい。
このまま完全に私の花粉症は完治するのかと思いきや、
微妙な症状を残したまま数十年が経ち、
今に至っています。
このまま花粉と共存か、
私の花粉症の元の植物が絶滅するか・・・
勝敗は目に目に見えていて、
私が入る事になる棺桶は、
多分その植物で出来ているでしょう・・・
ズズッ・・・
今日もこんな私のブログに来ていただいてありがとうございます。
それでは少しお付き合い下さいませ~







人間が植え過ぎた杉で自分達が苦しむなんて・・・

過ぎたるは、なお及ばざるが如し

なんて言葉がありますよね。
いくら良い事であっても、多過ぎたりゆき過ぎたりすれば、
それは不足していたり不満足であるのと変わらないって事で、
過度になるなら、
むしろ控え目にした方が良いんじゃない?
てな意味です。
この言葉、色んな場所に言えることで、
スギ花粉並みに日本全国に蔓延しています。
例として思い出されるのが、
威勢の良いレストラン。
見た目はシックでお洒落な感じのレストランで、
私と連れの二人で席に案内されるや否や、
案内人が場所にそぐわぬ大きな声で
”12番テーブルお二人さんです!”
と叫ぶと、他のスタッフ全員が
”いらっしゃいませー!!”
と、大声で叫び返す・・・
私たちはびっくりして目を合わしていたんですが、
その後も入ってくるお客さん、オーダーするお客さん、
帰るお客さんに叫び続ける店員達・・・
居酒屋ならばまだしも、
いや、
居酒屋でも店員全員が叫ぶとかなりうっとおしいはず。
店側の連帯感と活気のあるイメージの演出であるんでしょうが、
そこには客に対する思いやりはございませんでした。
もう、そっちのけです。
あまりの不快さに、
連れと二人でメニュー見ながら、
どうする?
我慢する?
・・・無理!
てな事で、急用が出来ちゃって~と、
店員に謝って帰る私たちに、
”ありがとうございましたー!”
と、店員全員の大合唱・・・
もう~、ドリフのコントかっ!






昔のコンビニとレンタルビデオ屋は、
私にとって接客態度ワースト1でございました。
けれど近頃はイイ感じの店が増えてきて、
気持ち良く買い物できる事が多くなりました。
が、しかし、
愛想の良いを勘違いする過剰な店もございます。
客が入ってきたチャイムの音に反応して
店員誰一人客には目も向けずに
”いらっしゃいませー!”
おつりを客に渡しても何も言わず、
客が去るために後ろをむいたら
ありがとうございましたー!
・・・・・。
マニュアルでしかない接客にウンザリしてしまいます。
こういう事を私が友達に愚痴ると、
それはその子らが若いからしょうがないよ、
とか、
お前が歳をとっているせいだ、今はそれが普通だ
とか・・・
まぁ、腹を立てても仕方が無いみたいに言われてしまいます。
まぁ、実際しょうがないんでしょうが、
やる瀬が無いと言うか、なんと言うか・・・







世の中は常に変化していて、
昨日の非常識は今日の常識。
物事の価値観なんてあってないものですからね。
誰かの過去の価値観なんてものは、
他人には意味が無いないんです。
私達の今瞬間が過去であり未来なんですから、
過去の社会の価値観なんて思っていても、
それはただただ、私の価値観でしかないんです。
だから、そんなものを振りかざしても、
ハゲた中年がヒステリー起こしてるだけにしか見えない訳です。
それでも私は叫びたい。
それは、
”世の中を変えたい!”
などとは微塵も考えておらず、
ただただ、私の為だけであり、
私の価値観に従っているだけなんです。
これが私の生きる道なんですよね。

それでは~、さようなら~♪



2012/03/16

やらしさに包まれたなら


こんにちは~
何だか寒のもどりで寒さが肌にチリチリ刺激して来る今日この頃。
いかがお過ごしでしょうか?
風邪などひかれていませんでしょうか?
私は気分が春真っ只中なもんで、
ついつい薄着をしてしまい、
ちょっと喉が怪しい今日この頃でございます。
花粉がチロチロ目に沁みる小春日和~
目をこすりたくなるのを我慢していただいて、
今日も少しだけお付き合い願います~






これからの時期、天気が良い日に表に出かけるのは、
大変気持ちが良いですよね~
暖かな日差しの下をのんびり歩いていると、
外気温と体温が同じぐらいに感じられ、
青い空に身体が溶け込んだ様な気持ちになってしまいます。
こんなおだやかで気持ちの良い日は、
気持ちもやはりおだやかになりますよね。
水溜りでてんとう虫が溺れているのを見つけ、
指でそっとすくい草の葉に移動してあげました。
あぁ~、なんて優しさに包まれたおだやかさなんでしょうか!






でも溺れているのがゴキブリであったならば、
指で救うどころか、その場から足早に離れるでしょうし、
気分はすっかりすさみきって、
しばらくは非常に不愉快な気分になってしまいます。
ゴキブリが忌み嫌われるのはやっぱり見た目。
あの形、あの色と艶、あの足、あの動き・・・
思い出すだけで鳥肌モノです。
しかし大方の昆虫をアップで見れば、
ほとんどが失神モノのグロテスクさでございます。
てんとう虫に至りましては、
草花に寄生する小さなアブラムシを片っ端から食べています。
アップで見たならば、それは、それは、ひどい虐殺振り・・・
それなら人の食べ物を横からちょっと頂くゴキブリは、
行動的には可愛いもんではないでしょうか?
しかも人が居なくなるとそっと出てくるなんて、
奥ゆかしささえ感じさせます。
けれど、やっぱり台所で彼らがいきなり出て来たならば、
躊躇なしにスリッパでパーン!
と、やってしまう私。
後に悔やまれるのは、
”何故私は古新聞ではなくスリッパを使ってしまったんだろう”
という思いのみです・・・







人と人はどうなんでしょうか。
はたして見た目だけなんでしょうか。
いくら見た目が一般に良いとされる人であっても、
その人にお金を騙し取られたりすれば、
その人の顔は大変醜く見えてしまうでしょう。
人や物事の見た目は行動で決まるんです。
心のいやらしさなんてやっぱり目に見えませんからね。
私は見返りを期待して人助けをする!と言う人と、
私は見返りなど期待しない!と言う人が2人で人助けをしていたら、
両者は同じぐらい素晴らしく素敵なんです。
心で何を思っていても、
外側が優しさに包まれていれば、
目にうつる全てのことは~メッセージ~♪

そして何もしないでこんな事をえらそうに言っている私は
やらしさにすっかり包まれています・・・